ブラック会社で8年、辞めて、約1年ニート休養しました。

24歳の頃からブラック会社に就職。そこから社会の汚さがすごくわかり、8年後我慢の限界がきて辞める。一年間貯金で資格の勉強をしながら休養を兼ねてニート生活を送る。その間にも色々なことが起きるが、その結果、、、

介護のブラック会社で8年

僕はブラック会社で約8年勤めてました。

 

よくある介護の仕事です。

 

24歳の頃、ホームヘルパーの資格を取り、介護の仕事をする事にしました。

初出勤の日、介護初心者の僕は当然に教育係が常につくものだと思ったのですが、オムツ交換を一度見せられた後、

教育係(管理者)『んじゃ、向こう行って変えてきて』と一言。

 

僕『一度見ただけだと不安なのですが』と伝えると、

教『これできないようじゃ、働けないから』

 

渋々変えに行ったのですが、案の定上手く変えられず。シーツも汚してしまいました。それに対してはあまり深く責められる事はなかったんですが、これから仕事する上で不安が残る結果でした。

 

給料面では、初任給の総支給が約13万で手取りが約10万ほどでした。介護は安いと聞いていたので、こんなものなのかと疑問も持たず。

半年後から、夜勤を任され、18時から翌日9時まで1人で対応し休憩はなし。ですが給料から休憩が2時間ひかれています。

夜勤明けは半休扱いになり、夜勤二回入ると、休みを1日減らされます。

夜勤、明け、夜勤、明け、通常の日勤〜ってな感じで10日連続勤務などが当たり前でした。夜勤7回入れられてたので、月の休みは5日。

これで給料の手取りは約12万7000円。

 

さらに半年が過ぎた頃、身体に異変が起き血尿とヒゲに円形脱毛ができるようになりました。同時に、喘息も発症。

これを施設長に伝えると、気にし過ぎるからだよと言われ夜勤も減らされず。

体調をくずして夜勤に入ることもあり、夜中に40度近くの熱が出て、代わりを頼むと

施設長に『利用者の解熱剤飲んでいいからさ』と謎に上から目線でいわれ、電話を切られる。

朝方4時、最終のオムツ交換が終わり、ホッとしたのか、ソファで気を失ってしまい、二時間後に目覚め急いで朝ごはんの支度。早番の職員が出勤し、休ませてもらう。その後も帰れずベッドで眠っていた。僕が発熱してるのを唯一知っていた施設長は、昼前に出社。俺の姿を見て、『うちの息子も熱が出て~』とか苦しい言い訳を始める。

無視して帰宅、きつかったが、同じ空間にいるのはもっとイヤだった。

 

ある日の夜勤、何かの糸が切れ、次の日の朝にすぐに辞めますと伝えたら、夜勤だけでもやってくれないかと。少し考えた結果、すぐに仕事を見つけきれないのもあり、夜勤のみなら大丈夫かと思い承諾。それから一年間の契約で働きました。11月にこの話をしたが、結局夜勤のみの仕事は1月から。なのになぜか12月のボーナスもカットされていました。

夜勤専属の間も、嫌味など日常茶飯事に言われましたが、夜勤は1時間ほど我慢すれば、一人で仕事なので、1年は我慢できました。

 

1年後、同じ会社のデイサービスから誘いが来ました。そこで働くことになったのですがそこはお泊りデイといい違法すれすれの事もやっており、夜勤もありました。元いた職場の管理者がデイに移ってきており、そこも最悪な状態になっていました。

なぜ誘いを受けたかというと、同僚が信頼でき、直の上司がほんとうに素晴らしかった。この上司が、のちの救世主になることになるとは、、、

この人の影響もあり、三年の実務経験も積んだので、介護福祉士試験を受け、一発で合格することができました。

 

働いて1年後、デイサービスの建て直しがあり、大きな施設になりました。

それと同時に元いた職場の施設長までもが移ってたのです。

なぜ、この施設長が好き勝手できるかというと、社長の奥さんなのです。。

家族経営とは自分ら(その家族)がルールなどで、コロコロ意見が変わるし、都合が悪くなると覚えてないふりをするのも毎日の事でした。

 それから、デイサービスの仕事をしたことがないのに仕切りだし、かなり要領が悪い仕事をし、上司が話をしようもんなら、

『私が施設長なのよ!!私の言うことが絶対なの』

本当にこんなセリフを吐くやつが存在するのも信じられませんでした。

 

その後、同僚、上司がやめる事に。。デイサービスは施設長と管理者の毒によりほんとに腐った施設になりました。お金をとにかく稼ぐために、他の施設が受け入れ拒否をした、認知症が酷く暴力を振るう高齢者をどんどん受け入れ始めました。施設入り口には鍵をかけ、まるで精神科病棟。すごく可哀想でした。キャパを超える介護はネグレクトと一緒です。顔につばを吐かれたり、噛みつかれることも多かったです。

 

そんな中、辞める決意をしたのですが、今度は元在籍した職場からの誘い。

そこの現管理者はすごく信頼でき、自分が以前に酷い扱いをされていたのも知ってたので、戻るために出した僕が言う条件をすべてのんでくれました。そこでまた最初の職場へ復帰。

 

こうみると、自分自身、思考能力がなくなっていたのか。。辞めればいいのに、給料大幅アップにつられ復帰してしまいました。もちろん同僚には満足していますし、管理者も最高の方でした。ようやく施設長とも離れ伸び伸びと仕事が出来ると思った矢先、施設に監視カメラがつけられ、施設長がスマホで職員を監視しはじめたのです。

 

職員間で話した内容など、把握しており、しまいには

『夜、寝る前に監視カメラの録画映像をチェックするの♪』と楽しそうに話されており、悪趣味のクズだなと再認識しました。

そこで二年働きましたが、遠隔のパワハラ(休日出勤など)(もっと酷い事沢山あり)が続き、もう逃げ切れないと思いようやく辞める事を決意したのです。

 

半年前から退職届を提出、この半年間のパワハラは想像を絶するものでした。

まだまだ書き足りませんが、ここでブラック会社の話は終了です。ほんとここに書いたのはほんの一部です。

 

 次回、約1年のニート生活を書きます。休養の為の生活にするはずでしたが、僕にとっては精神的に追い詰められ、乗り越えていく試練の年になりました。

 

 

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